30歳の時、私は逆浸透膜製品を求めてサンフランシスコ経由でロサンゼルスに到着し、車で各メーカーを回りました。アメリカの風景は、水道工事店として日々悶々としていた気分を吹き飛ばしてくれました。とにかく広い、歩いてどこかに行くということがおかしいくらいでした。ここから当社の新しい歴史が始まる予感がしました。そして、苦しい台所事情で、アメリカに行かせてくれた父親と経理担当の母親に感謝しました。
アメリカは、逆浸透膜を利用した製品であふれていました。スーパーマーケットでは、逆浸透膜で造られたドリンキングウォーターが棚の半分を占めていました。大手ボトリングメーカーも製造しています。そして、将来当社の主力事業になる逆浸透膜が内蔵された「水の自動販売機」が設置されていました。大型トラックが大きなドリンキングウォーターボトルを運ぶために走り回っていました。まだ日本でほとんどやっていなかったウォーターサーバー事業がアメリカでは当たり前のサービスになっていました。水を計り売るウォーターショップもありました。ホームセンターでは、家庭用逆浸透膜タイプの浄水器が販売されていました。
メーカーを数社回りました。どこのメーカーもとてもよく私の話を聞いてくれました。中でもある逆浸透膜のメーカーは、「お前やる気があるな!」ということで、逆浸透膜製造工場を案内してくれました。アメリカの会社は、「大小で判断しない、やる気とビジョンなんだ」と思いました。私の目的は逆浸透膜装置や必要部材の輸入、水処理技術の導入をすることでした。そして、飲めない水を飲めるようにする「水処理プラント」を日本で展開したいというビジョンをもっていました。実はこの水処理プラントは、とても難しい事業でした。
(ウォーターポイント株式会社 代表取締役社長 小早川克史)