私が家業である広島市の水道工事店「株式会社第一管工」(現ウォーターポイント株式会社)に入社したのは、バブル崩壊後の不況真っ只中の1996年1月のことです。私は当時28歳でした。銀行、不動産会社、大手ゼネコンがバタバタ倒産していました。当社は地元の建築会社から仕事をもらっている下請けでしたから、煽りを受けないはずがありません。地元の建築会社、同業者の水道工事店も倒産していました。客先の倒産不安だけでなく、競争が激しいので請負金額も安く、父(当時社長)も私も、暗い階段を下りて行く気持ちで日々仕事をしていました。
父と私は毎日経営について激論を交わしていましたが、「下請け脱却」が当社の生き残る道だと、意見が一致しました。それから、新しい仕事を模索しましたが、水道工事店がやれる仕事は、水回りのリフォームやマンションの改修工事など他社が出来る仕事ばかりで、競争が激しかったのです。他の水道工事店がやっていない仕事をするしか無いと思う毎日でした。そんな暗い毎日に光明が差しました。それが当社の中心技術である「逆浸透膜」との出会いです。
(ウォーターポイント株式会社 代表取締役社長 小早川克史)